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「わたしのここから」
●わたしの「ここから」始まりました
プチリタイア後、50歳からの生涯の仕事
に選んだのはブライダルセラピスト
~宇都宮結婚相談所・益子浩二さん~
昨年末、厚生労働省審議会が65歳まで働きたい人全員の雇用を
義務づける報告書をまとめた。年金の支給開始年齢が引き上げら
れている現状、加入者が無収入となる空白期間のリスクが少なく
なることを鑑みれば悪い話ではない。だが、今の日本の経済状況
をみれば、はたしてどれほど実現性のあるものなのか。
一方、日本人の平均寿命は男性が今や80歳にも届こうとし、女性に至っては86歳を超えている。
つまり、定年が60歳であろうと、65歳であろうとその後の人生がまだまだ長いことは言うまでもな
い。そうなると、従来のように一つの会社に終身雇用し定年でリタイアするのがよいのか、はたまた、
平均寿命や年金の開始年齢を考えもっと前にリタイアの時期を設定し、一休みののちにまた生涯の仕
事に向けてスタートするのがいいのか。さまざまな考え方があろうが、これからは現役時代の働き方も、
またリタイアの時期も多様化してくるだろう。
今回、ご紹介する栃木県宇都宮市在住の益子浩二さんは、まさに後者に属する方。大学卒業後は大手
企業に勤務、その後も様々な仕事を経験し、人より早くプチリタイアを決断。世界中を回って自分を
見直し、50歳を目前に生涯の仕事として結婚相談所を開設、ブライダル・セラピストとして第二の人
生をスタートさせた。
さて、今日はどんな「わたしのここから」を聞かせていただけるのだろうか。
早めにプチリタイア.旅で充電.生涯の仕事へ
大学卒業後してから45歳くらいまでの間に、いくつか仕事も変えました。は
じめは地元の自動車会社の営業職からスタートし、中学校の社会科の教師、企画
会社やコンビニエンスストアの本部社員などです。コンビニエンスの東京本部が
組織としては一番長く15年くらい勤めましたが、体調を崩してやめました。」
◆45歳でのリタイアは少し早い気がしますが?
「そうですね。それぞれの職場でいろいろ勉強させてもらいましたが、なかで
も一番私が影響を受けたのは30歳くらいの時に入った企画イベントの会社で、こ
こで様々なネットワークを持つことができました。異業種交流に興味があり、月
に1回東京にも出ていき、知的生産技術研究会でいろいろ勉強しましたが、ここ
で今でも私が師匠と仰いでいるフルブライト留学生だった永田清さんという方と
出会い、この方から勉強の仕方とか楽しさとかを教えてもらいました。永田さん
は当時から「役職や肩書がなくなった時点で自分をどうアピールするか、自分の
肩書を外したときに何が残るか」ということを言っていましたから、私も自然と
そんなことを若いころから考えるようになっていました。ですから、自分の一生
を考えて元気なうちにしばらくプチリタイアしたいと考えるようになりました。
これで仕事人生終わりというのではなく長い人生なので少し早めにリタイアし、
心身共にリフレッシュし、今度は一生涯の仕事を始めようと思ったのです。とは
いえこの時点ではまだ何をするか決まっていませんでした。」
◆プチリタイアの期間は何をしていたのですか?
「贅沢と言われてしまうかもしれませんが、世界中を旅していました。一番は
じめは堺屋太一さんがプロデュースしたモンゴルの旅です。イベントでは屋内の
劇場ではなくウランバートル郊外の丘陵を舞台に見立てて当時の戦闘シーンを騎
馬軍団が再現してくれたのですが、とにかくすごいスケールで圧倒されました。
あとは四国八十八カ所や秩父三十四カ所のお遍路もしましたが、たまたま四国
を回っていた時に知り合った人からピースボートに乗れば世界一周安く行けるこ
とを聞き、南周りで108日間世界一周し、アフリカ、南米、南極など25カ所の寄港
地によりながら、5大陸を制覇してきました。基本はずっと船の中ですがとにか
く私はこの船旅で大きく人生観や世界観が変わりました。それまではどちらかと
いうと人前に積極的に出る方ではなかったのですが、船には個性的な方がたくさ
ん乗っていて、そういう人たちと話しているうちに話題が広がり、友達がたくさ
んできました。そうこうしているうちに心身共に完全にリフレッシュしたのだ
と思いますが、50歳も目前でしたし、いよいよ一生涯の仕事を始めようという気
がわいてきました。」
◆なぜ、第二の人生の生涯の仕事として結婚相談所を選んだのですか?
「まず独立してやれること。そんなに資金もなかったものですから投
資資金が少なくて済み、今までのキャリアが生かせることを考えました。
それに、何よりピースボートの船旅で多くの人との出会いが
人との出会いで、考えもしなかったスキューバダイビングにも挑戦、
その楽しさにはまるり旅の経験は大きかったです。旅で仲良
くなった皆さんとはその後もずっとつきあいが続いていますが、刺激されること
が多く、日本に帰ってからダイビングのライセンスも取りあちこちの海に泳ぎに
行ったりもしているんですが、人の出会いって本当に大事だなって実感したこと
も大きな要因です。
それと生涯の仕事としてスタートするわけですから、やはり収入を得るだけで
はなく、何か人のお役に立てるような仕事でありたいと……。結婚相談所は一般
的には「室長」「所長」「代表」などの役職名をつけますが、私は相談所を頼って
きた方に、新たな視点や選択肢に気づいてもらい、結婚の可能性 を高めるお手伝いを
することが大事だと考え「代表」と同時にブライダル・セラピストとしました。
これは私の造語ですが結婚相談のプロフェッショナル、職人という気持ち
を表したものです。」
もう少し具体的に仕事の内容を教えていただけますか?
「スタートしてちょうど一年が過ぎたところですが、
この間、各媒体に広告を出したり、お見合いパーティーを
開いた様々な方法で会員を募っています。会員になるとパ
スワードでパソコン上から相手を選ぶことができます。中
にはこういうやり方には何か違和感を覚える方もいると思いますが、
調査データを見るまでもなく、今は若い人の未婚率、ことに結婚
できない男性が多く、こうした人の中には真剣に相手を求め
ている方がいますから、希望に沿ってお見合いのセッティングから、
お付き合いの仕方、相手の真意を引き出してお伝えす
るなど様々な局面で婚活をサポートします。私の所の登録だけでは限られてしま
うので、ほかの同業者の登録会員からも広く選べるように結婚相談所や仲人とか
が集まって情報交換をするための組織である日本ブライダル協会に加盟していま
す。日本ブライダル協会には現在、結婚相談所の数が1300.1500、会員
数も3万5000.4万人が登録しています。もちろん、会員のプライバシーは
完全に守られるように個人情報の流失や結婚詐欺などの問題が起きないよう細心
の注意を払っています。そのために私も数々の法律の研修等も受けました。
スタート直後に東日本大震災が起きて人の動きが一時停滞しましたが、また順
調に戻りつつあるというところです。」
◆小誌は中高年向けの雑誌なのですが、中高年の状況はいかがですか?
「50歳まで独身だった人は生涯独身の確率が9割にもなります。ところが、結
婚の経験がある方は一人になると寂しい、話し相手がほしいということでまた
結婚する傾向にあります。今や婚活は若い人だけのものではなく、中高年者も出
会いを求めていますが、高齢者の結婚には様々なハードルもあり、結婚届けを出
さない事実婚なども多いようです。私の相談所には上では60代の男の方が相談に
みえましたが、実際の登録となると男性も女性も一番上は40代です。しかし、日
本ブライダル協会に加盟している中には男女とも90代の方がいます。」
◆スタートして1年経ちましたが、やりがいは?
「結婚相談所は塾みたいなもので、ここに入ったからといって必ずしも結婚で
きるとは限りませんが、少なくとも塾に入れば勉強する環境に入ることにはなり
ます。私の仕事は人生の一生を左右する仕事ですから緊張もしますが、
うまくいけばすごく喜ばれ、感謝されます。ちょうど1年が経ち、
この塾から結婚に至ったカップルや結婚に向けてお付き合い中
のカップルが何組か出てきたことはすごくうれしいですし、やりがいもさらに感
じるようになりました。
世の中はこうした相談所などに頼らずとも十分結婚できる人が大勢いると思い
ますが、そうでない方もいるのです。先日も、お父さんが急に亡くなって天涯
孤独になってしまい、一人でいるのは辛いと新聞を見て電話をかけてきた
40代の女性がいました。こうした場合も私はビジネス以前にボランティア的
な気持ちで相談にのっています。まずは一人の人間対人間として向き合いたい
と思っています。その上で、ご本人の希望するようないい出会いのサポートが
できたらこんなに幸せなことはありません。」
◆これから目指すものは?
「栃木県では結婚相談所の数は他県よりも少なく特に県北には少ないのです
が、各地元に信頼できる相談所の数が増えればこの事業はもっと広がりますし、
それだけいい出会いを作ることができます。この仕事には定年はないですし、む
しろリタイアした年代くらいのほうが人生経験も多いので安心できます。
また、別の視点でなかなか結婚できないでいる息子さんや娘さんをお持ちの親御さんに
はこの仕事が何らかのサポートになるかもしれません。もし、この記事を読んだ
方の中に独立開業を目指している方や、今現在、何か仕事を持っている方でも副
業としてやってみたい方がいたら、ぜひ募りたいと思っています。
私のこれからの夢は、一個人ではなく仲間と手をつなぎ、もっとたくさん
の良い人との出会いをプロデュースできるような組織をつくれたらということで
す。しかし、まだスタートして1年ですし、一生の仕事と思って始めたので、あ
まり急がず信頼してもらえるようないい仕事をしていこうと思っています。」
■後送
第14号 2012年4月(3月1日発行)
編集人 東泉和子
発行所 株式会社オフィス東和
「わたしのここから」編集室
東京都台東区北上野2-3-13-502
〒110-0014 TEL 03-3844-3697 FAX 03-3844-3714
Eメール:wako1@lily.ocn.ne.jp
http://www16.ocn.ne.jp/.cocokara/
発行人 東泉 忍
印刷所 株式会社 木元省美堂