人から「嫌われること」を心配するのではなく、先に、その人を「好き」になることが、心が開いた状態なのです。
「好き」というのは、自分の心が開いているからであり、「好かれる」というのは、相手の心を開かせることではないのではないのでしょうか。
常に誰かと連絡を取っていないと不安なる「コンタクト中毒」は、いつも寂しいという状態になっているのではないでしょうか。
人はお互い人と会い、コミュニケーションを交わし、それらの言葉や表情がお互いの心に残るのです。そしてその情報が心の中で分解し、心の栄養素となっていく。つまり、食べ物が口の中から入り栄養となって体を保つように。
生の人間同士のふれあいこそ、人の心に残るものが生まれるのではないのでしょうか。
人と自分を比べて、自分の劣っているところだけを見つけて、ああだこうだと自分を責めたところで何の意味もありません。
劣等感に苦しむ人は、「現実が見えていない」という共通点があります。
「劣等感ごっこ」で自ら苦しむことなかれ。
「自信」というものは何かをやった後についてくるもので、全て「後付け」なのです。
うまくいかない時は、自分より「ダメな人」を探せばいいのです。
「人に理解してもらう」ことよりも、「自分がどうあるか」が大切なのです。
「自分のことだけ心配している」と、「自分のこと」に深入りし、そこから抜け出せなく危険があります。
「自分のこと」よりも「人のこと」を心配する方が、「心の健康」に良い。人の心配をしているほうが幸福なのではないでしょうか。
今回参考にしたのは、
「なぜか人の心に残る人の共通点」 斎藤茂太著 新講社