私がフォローしているfacebookで面白い小噺が目に留まりましたので、紹介させていだ抱きます。
飛騨の高山に住んでいる男と、伊豆の大島から、やってきた男が、江戸の宿屋で同宿したことがあった
やがて二人の、口げんかが始まった
その口論の争点は、「太陽はどこから昇ってどこへ沈むのか」ということについてであった。
飛騨の高山から来た男は、「太陽は山から上って山へ沈むものだ」と主張する。
伊豆の大島から来た男は、「太陽は海から登って海へ沈むのだ」と主張した。
両者は一歩も譲らない。
「山から昇る太陽を ワシはこの目で見てきたんだ。
うちの父ちゃんも見てきたし、うちのじいちゃんも見てきたんだ」と高山の男が言えば、
伊豆の大島の男は、「うそつくな!オレは海から昇る太陽を
この目ではっきり見たんだ。毎日この目で確認してきたんだ」
どちらも、証拠を見てきている。
うそはついていない。
宿屋の主人が、「何事か」と、二階にあがって、ことのいきさつを聞いてみた。
宿屋の主人大笑い
「あんたら、ばかですなぁ。何にも知らんのですね。
あのね、太陽というのはね・・・
屋根から上って屋根に沈むんだよ」と言ったという。
経験や学問、環境や才能が違うと、話し合っても、どうにもわかりあえないことがあります。
「話し合えば判る」というが、判るんなら戦争も裁判も要らない
よく話し合えばすむのならそうすればいいのです。
もしこの落語に、現代人が登場して
「本当は、太陽のまわりを地球が回っているんだよ」
てなことを言い出したら、それこそ3人の男に
バカ者よばわりされるのは目に見えています。
夫婦といっても、同じ屋根の下に住んではいても
生まれ育った環境は違うし、経験や才能も違います。
「自分の全てを理解してくれ」と相手に要求し合ったら、もうすでにこの落語の口げんかそのものとなりましょう。
同じ屋根の下に暮らす夫婦でも、あるいは血を分けた親子でも、お互い分かり合えないものがあるのですよ、と
お釈迦様は説かれています。
仏教講師、菊谷隆太の『一から分かる仏教(ブッダの言葉)』より
含蓄のあるお話でした。
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