「かぐや姫の物語」は、「竹取翁の物語」を原作とし、
スタジオ・ジブリ、高畑勲監督の映画で、かぐや姫の心情を描いたものだ。
見終えた感想は、
「なぜ、かぐや姫は結婚をせずに天に召されたのか?」
そんな疑問を持った。
子どもの頃のかぐや姫は、男の子のように活発だった。
それが都で成長していくとともにどんどん生気を失っていく。
手習いでのいたずら書きや琴遊びなどをしなくなっている。
見えないなにかに縛られ、身動きが取れなくなっているように見える。
広い屋敷にいるのに、かぐや姫の居場所は台所の土間と裏庭。
髪上げの儀式の宴会では、姫は3日3晩御簾の中。祝いの主役の自分がいなくてもいいの?と自分の存在を疑問視している。
まるで囚人のよう。
ありそうで、ない自由。
結婚相手も自分では選べない。
5人の貴族が婚姻を申込んで来るが、できるのは拒むことだけ。自分からは相手を選べない。
本当に一緒になりたかったのは幼馴染?
断りきれない御門からの求婚。
これが決め手となって、姫はこの世界を離れることを決心する。
そして阿弥陀如来のお迎え。
自由気ままに暮らしていた女の子が、成長と共に社会のしがらみに身動きが取れなくなり、自害。そんなストーリにも見えてくる。
姫が結婚していて子どもがいたら、月に行かずにすんだかもしれない。
姫の時代と違って現代では、女性からも結婚相手を選ぶことができる。
失敗してもやり直しができる。
喜んだり悲しんだりして命を輝かすことができる。
自分の人生を精いっぱい生きて見ようじゃないですか。
結婚しなかった(できなかった?)女性という視点で感想を述べました。仲人なるゆえんです。
「かぐや姫の物語」公式サイトを見たところ、ショッキングなコトバが目に留まりました。
「姫の犯した罪と罰」というコピー。
そして、映画では省かれた場面。
月世界を出発するかぐや姫と父親との会話。
姫は罪を償うために地球に下ろされたと。
姫は囚人だったようです。
私たちもいろんなことに囚われている囚人のようなものですが、選択の自由、決定する自由は手放したくないものだ。
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